輪島の蒔絵師、島田怜奈さんのこと・・・・そして、能登地方の一日も早い復興を願います!
今日は10月1日、私がこのブログを立ち上げ毎日コラムを書き始めてから9か月が経過しました。今日は、話題を少し変えてお話しします。
このコラムの最初の投稿が2024年1月1日でした。ちょうどコラムを書き上げ、「今日から毎日発信し続けるぞ!」と意気込んでいたらすぐに地震が起きました。
私の神戸の事務所兼自宅は17階にあり、長くゆったりと揺れ続けていたのを覚えています。すぐにテレビをつけると震源地が能登地方であることを知りました。津波注意報そしてすぐに警報に変わり、現地の映像が映しだされていました。
映像で映せるところは限られていたため、感覚では大きな被害はなかったのでは?という印象でした。ただ、海岸地域の方は津波警報が発令されていたので、ちゃんと逃げられているかなと心配ではありました。
私の会社(ぷろぷろ)が以前は器を取り扱っていたこともあり、金沢近辺には何度か訪れたことがありました。輪島には3回ほど訪れており、輪島の蒔絵師さんで島田怜奈さんとは何度かお会いし、輪島塗や蒔絵のことなどをインタビューさせていただいたこともございました。
島田さんの自宅兼工房は輪島のちょうど火災のあった河合町に位置しておりました。古民家で築100年を超す家だと言われていました。
地震が起こって能登が震源地で津波の危険が迫っていると聞き、真っ先に島田さんのことが気になりました。もちろん電話をすれば良かったのですが、逃げる時の妨げになってはと躊躇いました。テレビの映像では、それほど深刻な状況ではなかったように映しだされていたため少し安心はしていました。
夜になり輪島の街が燃えていることを知りました。さすがに避難しているだろうと思ってはいましたが、とても心配で、メッセージを入れました。電話はなぜか怖くて出来ませんでした。いや怖いというか、私より話さないといけない人がいるだろうとか、スマホの電池のこととか、気になったのかもしれないです。
いつまで待っても、そのメッセージに既読がつくことはありませんでした・・・。
1月5日東京出張の際にホテルで新聞を見ると、輪島の街の火災現場の写真が火災前と対比して掲載されていました。自宅兼工房の住所から位置を特定し、現在の状況を確認したら建物の痕跡もない焼けた地域だと言うのがわかりました。
そして、災害用伝言ダイヤルを回すと、お姉さんのメッセージを聞くことが出来、行方不明だと言うのがわかりました。その夜、スマホのニュースで名前が行方不明名簿に記載されているのを知りました。
画像の写真は、島田怜奈さんが展覧会で賞を取られたときの作品です。あるお店で、出品された時と同じ時に製作されたもの(同一作品)を販売されていたのを私が一目惚れして購入したものです。
島田さんとの出会いは、この蒔絵を施された輪島塗の器がきっかけでした。(この器はギリシャ神話をモチーフに描かれた作品です。)
輪島で輪島塗や蒔絵の技術を習得し、蒔絵師として仕事をされていました。神戸の三田市の出身だとは聞いてはいました。もし、この展覧会の出品作品が火災で焼失してしまったのなら、一度お参りさせていただき、ご遺族に私が所有するこの作品を手渡したいなと思っています。長時間にわたり、録音しているインタビューもその時お渡しできればと思っています。もちろん、ご遺族のご迷惑にならないかどうかを判断してですが・・・。
ただ、連絡先は不明です。三田市というのだけはわかっていてご両親とお姉さんがいらっしゃるのも承知はしています。もし、お心当たりのある方は、contact@proxpro.co.jp までご連絡いただけると幸いです。
今日、石破首相の指名投票の際の映像を何気なく見ていました。すると、れいわ新選組の大石あきこ議員が、「能登に補正予算を!」と書かれたボードを手に、投票箱のある壇上で抗議している姿が映しだされました。
輪島の復興がほとんど進んでいないことは知っていました。未だに大勢の方が避難所生活で不自由されていることも。
もうすぐ日本海地域には寒い冬がやってきます。雪もたくさん積もる地域です。先日も水害で多くの方が犠牲になられたばかりです。
都心からは遠隔地で今後経済発展する可能性が少ない地域ではあるにしても、多くの方が少なくとも不自由なく生きていける環境だけは早急に整えていただきたいものです。
この場を借りて、改めて、島田怜奈さんのご冥福をお祈りするとともに、能登地方の一日も早い復興を願います!
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